シュタイナー園を検討

みかんは保育園に預けていた。なぜ保育園かというと、私が保育園で育ったから。お昼寝は好きだったし、なんだかよかった。私はまだ若く、自分のやるべき仕事についてはやり残した感が多かった。つまり、自己実現したかったし、こどもは保育園がいいと思っていた。近くの幼稚園は、行事が多く、母親泣かせと聞いていた。いろいろな役回りを押し付けあうらしい。きっと、面白くない役回りなのだろう。役というのは、自分が面白がってやれば面白いし、やらされていると思うと途端につまらなくなる。

美味しいランチを食べること以外やりたくない人の間で、仕事の押し付け合いに煩わされるのも避けたかった(しかし、そこはのちに後悔することになる)。

こどもが生まれたら、シュタイナー園に入れたいと考えていた。その頃とても親しくしていた友人が幼児教育を専門に勉強した人で、私は多くのことを彼女から学んだし、多くの影響を受けていた。彼女はシュタイナーに入れ込んでいた。私自身あまり学校には行かなかったし、従来の学校教育がいいなんて、まったく思っていなかった。

人と同じ勉強だけをして、個性を育むことはできないし、人と同じことをして、違う視点を養うこともできない。どんぐりの背比べでしかない時代。大学を出ても就職難に喘ぐこどもが多いことを思えば、いかに自分で自分の仕事を作れるか、有用な人材であろうと努力し続けられるかは、学校教育には期待できない。そう考えていた(夫だってその点は同じ考えだったが、彼はけっこう普通にこだわった)。

それで、オルタナティブ教育とはなんぞや?と、いろいろな本を読み、友人と議論を重ねた。もう読んでないけど、当時はオルタナティブ教育関連のMLに入って熱心に読んでいた。日本各地、あるいは海外在住のオルタナティブ教育や、インディペンデントスクールに情熱を注ぐメンバーの、熱心な話がタイムリーに聞けた。東京、地方都市、山岳地帯。いろいろなところに自主学校ができていった。

こどもが生まれ、三年保育というのだろうか、そういう時期がきたときに、私は迷った。シュタイナー園を調べれば調べるほど、懐疑的になってしまう。シュタイナーの考え方は素晴らしい。しかし、シュタイナーの提唱する概念や教育法はシュタイナーが属する宗教と密接な関係があるようだし、実際の園の行事や教育の手法は、キリスト教徒の宗教行事の流れが強く感じられた。

シュタイナー自身は、特定の宗教観をこどもに押し付けてはならないとしたそうだから、現在のシュタイナー学園と、スタート時のウォルドルフ学園、あるいはドイツあたりにあるウォルドルフ学園とは、様子が違うのかもしれない。

sheep-1822137_1280ところで、シュタイナー教育というと真っ先に思い浮かぶのが、羊毛を使った遊びと、学びのための手作りのおもちゃだ。

木の枝と毛糸で作るオブジェ。これらはこどもの「仕事」として捉えられているようであり、その点はすこぶる好感が持てる。そして、親愛の情を育むために親の手によって作られる、羊毛をたっぷり詰めた抱き人形。

しかしながら、日本に羊はやってこなかったようで、羊毛文化は近年まで日本には無かったし、すなわち羊毛のおもちゃは日本の伝統的な民芸の中には無い。つまり全ての材料を輸入することになる。実際に、愛らしいシュタイナー関係の材料屋さんがたくさんあるし、輸入のおもちゃ屋さんでもよく扱われている。

日本にも良い糸や布はたくさんある。それなのに外国の材料を使ってこどもを教育するのはどうなのだろう?特に私がそれをやるのは問題。。

そこで思うのが、シュタイナーの理論が普遍的ならば、日本の環境に置き換えた学びの場を作るべきでは?という疑問。当時、京都のある園では、日本的な事物に置き換えた園づくりがされているシュタイナー園があると聞いた(それが本筋だろうと思う。さすが京都)。

食べ物にせよ、生き方にせよ、生まれ育った土地のアイデンティティーを大事にしたいと思っていた。我々は(都会に育ったものは特に)戦後、日本人としてのアイデンティティを積極的に持つことを避けてきたように思う。そうして、アメリカの価値観を受け入れ、そこに沿うことで戦時中の暴挙を無かったことにしようとしてきた。そんな風に思う。

その上、こどもまで西洋の価値観に沿って育ててもよいのだろうか?一神教として君臨するもっとも大きな宗教の一つを基準にすることになる….笑

もちろん、今考えればそういった世界を動かす宗教の真骨頂のようなものを肌で感じながら育つのも、異文化の理解という点で、よかったかもしれない。

ともあれ、ママは仏像や多神教の神々の元、まずは育てたいと思っていた。

それで、日本のシュタイナー園の、シュタイナー理論の実際を検討するでもなく、まるごと崇拝してしまうような様子が気がかりで、取りやめに。

他になにかないだろうか。幼児教育としては、モンテッソーリがある。幸い、通える距離にモンテッソーリを名乗る園があったし、保育時間も長かった。モンテッソーリは主体性を重んじるところがいいし、宗教色も感じられない。外遊びも毎日取り入れていて、近くの大きな公園で午後の数時間を過ごすとのことだった。面談に行き、見学の申し込みをしたのだが…

私がマイコプラズマ肺炎になり、見学を逃してしまった。夫は普通の園がいいというし、。保育園は、裸足保育をしてくれるところを選び、希望を出すことにした。

幸いそれが通り、一日中裸足、冬でも半袖で過ごすマッチョなスタイルの園に通うことになった。

ずいぶん後になってから、モンテッソーリに入れればよかったと、後悔することになった。

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