運動

みかんは体調がぜんぜんよくなくて、二学期になってから学校を休みがちになっている。ひどくつかれるらしい。体もかわって成長期のせいもあるかもしれない。あるいは、同じ方向ばかり向いて寝てて。どこか打ってるかするんだろうか。

藤牧先生のご指導を受けてから、取り組んでいること。それは運動。実際のところ、高校受験があったり、新しい高校へいきはじめて毎日できてないこともあるけど。それでも細々とやってきている。

毎日走るというタイミングをどこでとればいいかわからないまま、忙しさに没入。週に一度のダンスだけはなんとか通い続けた。発表会前は週に二回通い、直前には特別に場所を借りてレッスンもした(わたしがつきあって)。

かなり踊れるようになっている。音に合わせてターンとか、次のステップに踏みかえるとか難しいけどよくできている。はい次そこで踏み替える!!と指示を出しても対応できてる。

そして。思うように体が動かない時は「回転練習」といっている基礎的な運動を先にやると、うまく体が動くといって自らやっていた。回転練習は、バレエのレッスンにちょっと似ている。右に二回転、左に二回転といった感じで回転しながらくるくると前進する。これを15分くらいやったあとは、とてもよく体が動く。

回転運動は、藤牧先生も取り入れられていて、とても大事だとおっしゃっている。主に視機能をあげていくためにいいということだったが、体幹が整うのか、体全体にうまく指示がいきわたるようになるらしい。いったいどういうことだろう。今度藤牧先生に聞いてみたい件。

そのプログラムでレッスンしているダンスの先生は優秀で、アメリカで勉強された方。できなかったことをどんどんできるようにしてくださる。たとえば、逆立ち。まったくできなかったのに、できるようになった。側転はまだだけど、もう少しでできそうというところまでいった。これってすごい。やはり教え方でなんでも違ってくる。

そして、ダンスのレッスンだけではやっぱり交差する運動が足りないのかなという気持ちもあって、毎日のメニューとして1.5km走る、これをどうこなすかずっと時間というか、日程に入れられなかったけど、最近は学校帰りの道の途中で車の中で着替えて、1.5kmスマホで記録しながら走るというのをやっている。

朝の縄跳び200回も、もっとコンスタントにできたらいいね。

英語は日本語→英訳はOK
英語→日本語が×

漢字テストはほぼ満点。
数学は×と+の見間違いなどで失点。

回転椅子運動を最近やれてないので、これをやらないといけない。
鬼トレとか、右脳開発とか。右脳開発ってまだ間に合うんだろうか。
軽音部に入ってドラムをやっていたけど、退部。しかし、ドラムをやるようになったら、ピアノがとてもよくなって。急に弾けるようになってきた。音が全然ちがう。

そして、ドラムはピアノに比べて簡単といっている。今季成績が上がって生活が安定したら、この交差運動的なドラムというのも、先生をつけてやってみてもいいかなと感じている。

学校の先生

先日から学校の先生が、娘の作業が遅いとおっしゃってこられて当惑してます。

この先生、発達障害初心者なのかもしれない。作業スピードが遅いと言ってきてどうするつもりなんだろう。

発達検査を受けたらとかなにかいいたいのかもなーと思ってうんざりした。

作業は藤牧先生のところに行くようになってから他の子に劣ることは無くなりましたし。話すのが少し拙いだけでこういう評価はないなーと。

提出物を書くのが遅いというのですが。他の子が書き終わったころ見ても、娘さんは書き終えてないというんですよね。

作業スピードの遅さが英語の教科の点数などにひびいてるのではないかというわけです。

取り組まないので点数に結びつかない、つまりサボってるのではとは思うけど…

しかし、小テストの結果を見ても、英語は苦手分野で落としてるのは明確だし、数学はケアレスミス。漢字はほぼ満点。

本人はアンケートなどは丁寧に書いているので遅くなるけど、板書とおなじスピードで書けるので何を言ってるのかなー先生は!見てないんじゃない?と言うし。

先生自体がちゃんと観察してなくて、発達障害じゃないんですか……

イメージだけで言ってるのでは?

いま、なんでも発達障害に結びつけて考えるような風潮があってどうかと思う。

本人が困ってるといえば支援はすべきだと思うけど。

考え、話し合い、気づく

平成30年度から小学校、平成31年度から中学校で、道徳が「特別の教科」化されるようだ。

私の記憶にある学校での道徳の時間は、教科書などから登場人物の気持ちを読み取ったり、「差別はよくない」「いじめはやめましょう」「お年寄りには席を譲りましょう」というような物事の善悪を教えてもらったような記憶はあるが、実際にそのような場面に直面した時にどうしたら良いのかを考え判断し、必要な人に必要な手を差し延べることができるためには、共に考えて自分で気づく機会が必要なのだろうと思う。

友達の意見を聞いたり、自分の考えを発言して、お互いに考え方の違いや良さに気づき認め合えることから、自分も人も大事にできるのではないかと考えるからだ。

昔、「物より思い出」という車のCMがあったことを思い出す。

人に必要とされたり認められること、自分とは考え方が違っても想いは伝わったという経験、楽しいこと嬉しい経験だけではなく、時には苦い思い出もあるかもしれないけれど、どれもこれも欠くことのできない大事な1ピースで、今の自分を形づくっている。

病気や障がい、いじめや虐待、パワハラなど、何らかの理由で心身ともに弱って生きることがしんどくなっている人がいたら、その人ならではの経験を共有しながら、新たな思い出を一緒に創りたいなぁと改めて今思っている。

辛い時にはきっと、そういう人との出会いや思い出が支えになると思うから。

目の前にあるものが見えますか。

ジェニファー・ロペスが口説いて結婚した元夫に裁判を起こされたことを考えれば、(セックステープとか)8歳の息子が目の前にある醤油に気付かず、

「醤油どこ?」

って言うのも大したことじゃない。

暖かくもなったし、庭の草むしりでもしようかなって準備していたら息子が「手伝おうか~」って。

気が利くことを言ってくれる。体操服を無くしたとか、新しく赤白帽を買ったら「でてきたよ!ロッカーにやっぱりあった!」とか、プリントを踏んづけたまま「宿題のプリントは~どこかな~」っと歌ってる息子は心優しいところがある。

せっせと草をむしって、ゴミ袋に集めていたら息子がいない。

あの子のことだから、と私は庭から通りに出て叫んだ。

「庭の草むしりよ!道路や公園のそこらへんの草じゃないわよ!」

そうすると、タンタンの冒険に出てくる白い犬を連れたおばちゃんが、

「あっはは、そんなことするわけないじゃない!いやあねえ!(息子さんを)信用しなさいよ~」

と笑っていた。あはは、と笑って私ったら!と答えたけど、いいえ、うちの子ならありうるんです。

草一本も抜かずに、私の草むしり道具を投げ出したままボールを見つけて友達とサッカーしていたうちの子。よくあるんですよ。そういうことが。え?そんな、間違いが?ってのが。

この程度ならまだ可愛いわ、と思えるようになる。不注意はまだまだ、運動が足りてないだろうか?はたまた食事?と、思いつつ、打倒(打倒?)小麦と思いつつ面倒でパンケーキを焼いてしまう朝。単なるホットケーキだけど。

うまいうまいと大量に平らげては、ずっとこちらの表情にも気付かず自分の興味ある事柄をずっと喋り続ける息子。

女優よ、私は女優だ、とニコニコして相槌をうっていたら毎晩同じような話をして、聞き苦しいことこの上なし!一次予選に落ちたお笑い芸人のようだ、と思ってしまかう。(知らないけど)ともかくつまらないジョークを合間合間に飛ばして、それもまたイライラさせられる。

こりゃまたやり方間違えた、と思うが、話をしっかり聞いてもらえたと彼なりに満足すると、びっくりするほど弟に親切になり、部屋の片付けをしてからベッドに入る。(日常、優しいけれどそれでも、低学年同士。けんかもしやすい。)

たまに息子の頭のなかには小さなやじろべがたくさんあって、それらが一生懸命バランスをとろうとしているように思えるときがある。お喋りして、傾きを直そう、とか?

ふらふらまっすぐになると、彼はいい子モードに入る。

で、ぐらぐら揺れたままだと不注意で、悲観主義となる。

普段、それはぐらぐらしたままだけど、彼はそれでも上手にのりこなして、芝居がかった話し方をして、純粋で、楽しそうなので、楽しいな、ぐらぐら揺れても楽しいな、という経験をたくさんして過ごして欲しいなと思う。

お母さんも同じだよ。自分が話したいことだけ話したいもの!

そして時間配分苦手。「もう、集合場所にいったら?本なんて読まないよ!」と言いつつ、私も出掛ける前に読んでる。たくましく生きていってほしい。

にんじん

「お母さんの腹具合によっちゃあ、たらふく食べられるときもあるさ」

フランソワ・ルピック(にんじん)の言葉をいづみさんの虐待家庭の話で思い出してしまう。

ジュール・ルナールの自伝的小説。若いころ、子供がいないときに読んでいた時は「にんじん」が大好きだった。皮肉がきいていてそれでいてユーモラス、だとか説明にはあるけれど、本当にユーモラスなのか。でも確かに面白くて、なぜか大好きで、悲劇とは思わず読んでいた。悲劇は人は望まないよね。

母親がヒステリックで狂ったようなおばちゃんで、おねしょの治らないにんじんにおしっこ入りだと言ってスープを飲ませたりもするその名作なんだけれど、息子が生まれてよく思うことは、にんじんが息子そっくりだということ。

にんじんが新しいメイドに大人びた口調で説明するのも、家族で過ごすときにする無駄な動きも思考も、ジョークがわからないところも、そこでそれを言っちゃあだめよ、というところで口にしてしまう真実も。勉強ができるようで出来ないところも。世間を彼の兄弟のように知らないところも。

ならば、彼も発達になんらか抱えていたのか?ということを言いたいのではなく単に似ている、それだけなのだけど。そんな勝手な考えを述べるのは、「じゃあ、にんじんの母親に自分が似ているのか」ということ。昔はにんじんに親近感を、作品に親近感を覚えていた。にんじんの両親はどうなのか。病気を苦にして猟銃自殺した父親は妻を愛していなかった。でも、病気を苦にして自殺を図るのは、わからなくもない。痛みや、恐怖は精神にいろいろ影響を及ぼすと思うから。

乞食やメイドをうまいこと、情け容赦なく追い出し、子供を差別して育てていた母親は、「私」なのだろうか。

にんじんにいつも怒っているのは、私自身なのか。つまらないことを考える。映画を見たら。自分に似た人以外にもヒロインに感情移入するものだから(ヒロインがマーゴット・ロビーとかだと、諦めて脇役に感情移入するくらいの分別はあるけど)その延長かしら?でも、最近はよく考えてしまう。

名付け親のおじさんがにんじんに親切であり、彼と離れる時間があったのが親子でほっとする時間だったのでは?にんじんは寄宿舎に入っていなかった?にんじんはそれでも、もう少しの時間でも、母親に会いたくない、それどころか嫌いだった。離れてるのに、彼女はにんじんにやさしくなれなかったのか?うちの息子は?私に対してどんな感情を抱いてる?

真相は井戸の中、かしら。彼女は「不注意」で落ちたのだろうか。それはともかく、ルナールの物や人、動物に対する描写って素敵だ。

クローズで子育てをしつつ、(医師も「傾向がある」と話し、簡単に診断を取るのは、と話していた。あたたかく子供を包んで育ててあげましょう、と。本当に社会で困ったときに取るべきものと言っていた。息子は模倣ができる。本人の気持ちは別として、学校に紛れ込んでいる。毎日友達と遊びにいき、宿題をこなし元気よく過ごしている。私は何が不満なんだ?起きてもいない二次障害?起きつつある、二次障害?)私は、にんじんの母親になっていないかとよく自身に問うことがある。

もちろん、自分がメロンを好きじゃないからって、(スイカだった?)息子に食べさせないことも排泄物をどうこうしようとはしない。でも、極端な考えの息子に、人を振り回す息子につかれることがある。それは彼じゃなく、自身の問題なのかな?

でも、偏食でメロンもスイカも息子は食べない。ちなみに私も好んでは食べない。打倒小麦、と思いつつもイライラするとクッキーをやけ食いしてしまう。

ともかく月曜からは始業式。疲れた頭の日曜日。

居場所のないこどもたち

ラインのニュースであがってきたNHK特集「居場所のないこどもたち」里親80%「養育上困難」経験 NHKアンケート。

NHKニュースhttps://www.nhk.or.jp/d-navi/link/kodomo/

この記事に書かれているように、虐待や様々な理由で家庭での養育が困難な子ども達が里親のもとで暮らしているが、その里親さんの80.6%が養育で困っていることがあるというものだ。

その困り事として最も多いのが「基本的生活に難しさがある」52.5%、次いで「愛着障害が見られる」が50.9%、「ばれるようなウソをつく」が39.7%となっている。

私が受けた相談の中には、「友達が里親から虐待を受けている」という信じがたいものがあった。

次々と出してくる試し行動や赤ちゃん返りなどをまずは受けとめてあげることから始まる親子の関係づくりに、血の繋がった親子でさえ、それは時に戸惑い受け入れがたいものもあるのだから、ある程度物心のついた里子を子どもとして育てていく過程には、本当に相当な忍耐力と深い愛情がなくては続けられないだろう。

そして、どんなに里親が一生懸命に親子になろうと頑張っても里子の気持ちや行動がわからない、こちらの想いが伝わらない苛立ちなどから、最悪の場合虐待へと向かってしまうのかもしれない。

里親のおよそ4人に1人にあたる26.6%が、養育に困難を感じるなどして子どもとの関係を解消する「委託解除」の経験があると答えているが、子どもにとってはどちらにせよ、二度親に捨てられ、二度虐待を受けることになり更に傷口に塩を塗ることになる。

また、血の繋がった家族と暮らしていても居場所がないと感じて「死ぬ」と一言メールをくれた子がいた。

私は仕事中だったが、事情を説明してすぐに電話をかけ、今どこにいるのか、周りに誰かいるのか、何があったのかを聞くと、意外にも淡々と答えた。

そして最後には「ごめんな…。いづみちゃんならきっと、どうしたん?!って電話かけてくれると思ってん。」と、本気で心配してくれるかどうか試したかったようだった。

「当たり前やろ!どんだけ心配したと思ってんねん!仕事途中で飛び出してきたわ!」と言うと、「ありがとう。。今度死ぬ時はちゃんといづみちゃんに言うな(笑)」と冗談が言える状態に安堵して、「なんでやねん(笑)死ぬ前になんでもゆうて」と話を終えたが、何らかの理由で自分には居場所がない…と不安や寂しさ、孤独感に押し潰されそうになっている人がいたら、命を絶つ前に私でもいい、信頼できる人に心の声をこぼして欲しい。

あなたのお通じはどうですか?

100マムの「腸科学」ページを読んでいた。ジャスティンといえば、ジャスティン・ビーバーしか思い浮かばないけれど、言葉遊びが好きなのはASDによくある、と聞いてから普段は隠しています(隠しているつもり)

腸の細菌が喜ぶ食事を腸に与えて、体を良くしよう、脳を良くしようという話だと思った。

私は小さな頃から牛乳を飲めばお腹が緩くなり、ヨーグルトを食べれば下痢をする。緊張したらトイレに行きたくなる、そんな体(腸)だった。

その為、決まったものばかり食べていた。それが理由だったのかは分からないけれど、一度食べてお腹の壊さなかったもの、安心出来るものを食べる。我が子の偏食に嘆いてるけれど、偏食だった。

「人参を星形にしてみたら?子供が喜んで食べるよ!」なんて、今も昔も変わらないなって周りの話を聞きながら思う。試してみようかな?と言いつつも目に見えている

息子はもちろん食べない。私だってそうしてくれた母に対して「人参は人参だよ……何がしたいの、味が嫌なんだけど」と嫌な子供だった。(そして私のそんな所がそっくりの子供を授かった)

大人になるにつれて、食べられるものが増えていつからかお腹も、緊張したら行きたくなるのは変わらないけれど学校や集団生活を送っているときより困りごとは少なくなっていた。社会に出ればトイレ休憩も融通がきく。

そして、息子の癇癪や顔色の悪さ、生意気さ(これは違うかしら)人の話を聞いてない、話が一方通行、変わったしゃべり方など気になることがたくさんあった頃に、たまたま漢方を飲ませたことがあった。

風邪しかひかないような息子で、幼稚園前、入園後、冬はずっと高熱を出した。咳が出れば気管支炎。病院へ行き薬を飲んでも効いてるのか効いてないのか、むしろ悪化するような子供だった。

肌もガサガサで親切な小児科の先生が皮膚にクリームを出してくれたりもした。

半信半疑で飲ませた体質改善の漢方が、皮膚はもちろん、その他にも効いたようだった。

「お腹の調子がよくなったよ!」と息子はご機嫌に言ったが、それまでお腹の調子が悪いことに私は気付いていなかった。トイレに毎日行っているので便秘も疑ってもいなかった。だが、よくよく聞けば学校でもトイレに行ったり、緩く、回数も多かったようだ。

みるみる顔色がよくなり会話の能力も上がった気がする。(今までの息子に比べて)

take care of yourお腹!(そんなコマーシャルあったよね)

腸の調子を整えるのがこんなに大事だなんて、と私は食卓に野菜の種類を増やしてデザートにはフルーツも欠かさず(たまに忘れるけれど)買うようにした。

夫と次男は喜ぶ。長男は相も変わらず偏食だけれど、「用意してくれてありがとう!でも、苦手だからごめんね」と断ってから白米と好きなおかずばかり食べています。

その型通りのお断りの文句を言えるだけ素晴らしいんです。(今までの我が家の状況と比べたら)

私も腸へのご馳走、腸への食事とせっせと好きでもないものを食べるようにしたらおまけで肌が以前より綺麗になりました。

それも今までの自分と比べてだけど。

……私も長男も経腟分娩。なので細菌よ、お腹に取り込まれていてほしい。でもその細菌って餌がなくて消えてるのだろうか……